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活動報告

高松市議会はこのままでいのか??[2015/12/22]

 昨日、12月定例会を閉会し、とりあえず今年の議会は終わった...
 今年は、4月の統一地方選があり、5月からは新しい議員構成でスタート。定例会としては、6月、9月、12月とやってきた。しかし、とりわけ、この12月議会終わっての無力感というか、虚しさというか、地方議会とはなにか?とか、本当に議会は必要なのか?ということを昨晩、いろいろ考えた。...

 私自身、4年間市議会を離れて、再び市議会で活動させていただくことになったが、はっきり言って、高松市議会は4年前から成長していない。というか、もしかすると少しは成長しているのかもしれないけど、その間、他の議会がどんどん進んで「当たり前の議会」になってきているので、高松市議会はおいてきぼりにされているのかもしれない。

 この12月議会、質問や討論、そして、今回は4名の議員で予算の修正案も提出した。とっても重要な問題を取り上げ、それなりに問題提起したつもりだったけど、その過程で、議会としての議論がない、ということに虚しさを感じた。それで、本当に議決していいのか??と。

 私が尊敬する福嶋浩彦さん(現・中央学院大教授、元・我孫子市長)の著書に『市民自治』という本がある。その中に、「意思決定機関として必要なもの」が書かれている。

①議員同士の議論は行われているか
→議会の運営の大部分は執行部との質問ー答弁であり、議員同士の議論はやっていない。・・・本当にその通り。最終日の本会議での議案に対する「討論」の時間はあっても、毎議会、討論するのは、私たち市民派改革ネットと共産党の会派だけ。単に、反対、賛成の意見を言うだけという批判もあるけど、それすらないのが高松市議会。賛成でも意見を言わないと、議論にならない。こんな高松市議会だから、委員会においてもほとんど議員同士の議論はやっていない。

 これからの議会は、「個々の議員が執行部に陳情し、首長提案に賛否を表明するだけの議会」か「議員同士が討論して議会としての意思を示し、それによって首長・行政を動かす議会」かが問われる。現段階では、高松市議会はもちろん前者。

②議会での議案修正を当たり前にする
→提案した市長の責任も重いが、決定した議会の責任はもっと重いはずで、しかし、そんな認識はまったくない議会が多い。

 議会には、本来なら、議員立法を活発に行って欲しいが、すぐに議員立法を日常的に行うのは難しいかもしれない。しかし、少なくとも、首長提案に対する「やむを得ず賛成」「やむを得ず反対」はやめ、議員同士が議論して議会でよりよく修正するということは、もっと日常にできるはず。そうなれば、議会の「決定責任」に対する自覚も、必然的に高まる。

③決定機関としての説明責任
→議会は、意思決定したことを市民に説明しなければならない。意思決定者としての当然の責務。

 高松市議会は、この当然の責務をいまだやってない。とりあえず、来年の4月から議会報告会を行う方向だけは決まったが...ここで、重要なのは、「議会では、こういう賛成論とこういう反対論があり、こういう議論をした結果、こういう結果(可決、否決、修正)になったという説明をすること。どの議員もそういう立場で臨むこと。でも、これができるのは、議会で十分な議員同士の議論が行われるということが前提。議会でそれぞれの議員が、首長や執行部に要求しているだけであれば、議会の報告にはならない。

 以上、この①~③すべて、今の高松市議会にはないことばかり。本当に、「当たり前の議会」にするために、高松市議会、このままではいけないと改めて感じる。費用弁償の見直し議論で、「議員には金が必要」という意見を堂々と述べているのはいいけど、それはこんなことができる議会になってから言えること。そんなことを言わせないために、急いで改革していかなければと思う。