昨日の8月9日、娘が生まれて1年が経ちました!
家族で、1歳の誕生日会です♪
昨年の2104年、8月9日01分、みれは生まれました。
出産予定日は10月で、切迫早産(頸管無力症の疑いアリ)のため長い間、高松日赤で入院していました。安静の為、ほとんどベッドから動くことはできない状態でした。
ところが、前日の8月8日、朝から熱が出て、身体がだるい・・・夕方ごろにようやく診察してもらうことができ、何らかの感染から熱が出ていたようですが、「このまま妊娠を続け、赤ちゃんをお腹の中にいさせると、赤ちゃんに感染する、赤ちゃんが元気なうちに出してあげた方がいい」との主治医の判断で、夜には分娩室へ。
ずーっと不安な思いで入院していたので、出産することに心の準備ができていませんでした。私だけでなく、夫も母も・・・
早産になってしまう不安がものすごくありました。「もっとお腹の中にいさせてあげたかった・・・」と、分娩台に上がるまで悔やんでいました。「ごめんね、ごめんね・・・」と言いながら。 幸いにも、娘がとっても元気だったので、帝王切開ではなく自然分娩で出産す
ることに(後で、入院中お世話になった看護師さんや助産師さんが驚いていました・・・)。普通に生まれてくる子よりは、ずっと小さいけど、「おぎゃー」と大きな声で出てきてくれました。この声を聞いた時、涙が溢れて止まりませんでした。
本当に、妊娠・出産は何があるか分からない、命がけのことだと、身をもって感じました。
当然、娘を抱くことはできず、すぐに横で控えている小児科の主治医のもとへ。娘は、NICUに入院です。私は、産後、しばらく横になり、落ち着いたら夫と一緒にNICUにいる娘のもとへ。いろんな管につながれ、保育器に入った娘の一生懸命生きようとする姿を見て、また泣いてばかりの私でした。
「どんなことがあっても、私はあなたを守るよ」と、保育器の娘に語りかけました。私は退院した後も、10月中旬まで、冷凍母乳を持って毎日毎日、NICUの娘に会いに病院に通いました。最初は泣いてばかりの私でしたが、夫にも励まされながら、日々、成長する娘の様子を見るのが楽しみになりました。
母乳を飲む量が増えていったり、つながられていた管が少しずつとれていったり・・・と、嬉しいこともありましたが、同じだけ心配事もありました。問題なく、普通に生まれた新生児を横目に、NICUに通っていました。
そんな1年間前が嘘のように、元気に大きく育ってくれて、無事に1歳の誕生日を迎えることができ、感慨深い思いでいます。この間、私は、再び、議員活動をするという判断、そして、選挙、議会活動・・・と、目まぐるしい1年でもありました。ずっと娘のそばにいてあげられなくて申し訳ないけど、私も娘に頑張っている姿を見せる大人でいたいと思います。この子たちの将来に、責任ある政治をやっていきたいと思うし、戦争や環境破壊、財政破たんのない社会をつくるために、しっかり政治に携わっていかねばと改めて感じます。